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すべての人が個人として尊重される社会の実現に向けた、男女共同参画・ダイバーシティ教育の推進を求める陳情

02-20 すべての人が個人として尊重される社会の実現に向けた、男女共同参画・ダイバーシティ教育の推進を求める陳情

受理番号
02-20
受理年月日
令和2年10月12日
付託委員会
議会運営委員会
委員会付託日
令和2年10月20日
議決年月日
議決結果
審議未了
紹介議員

内容

 すべての人が個人として尊重される社会の実現に向けた、男女共同参画・ダイバーシティ教育の推進を求める陳情

【陳情の趣旨】
 すべての人が個人として尊重される社会の実現にむけ、足立区執行部に対して、男女共同参画・ダイバーシティ教育のさらなる推進を、自治法125条によって求めること。また、議会内における男女共同参画、ダイバーシティに係る研修の機会を充実させること。
【陳情の理由】
 「Lだって、Gだって法律で守られているという話になれば足立区は滅んでしまう。」この発言は、ご承知のように、各所で大きな批判を浴びることになっている。
 問題の発言があったのは、9月25日の区議会一般質問だった。「日本人が全部L、日本人が男は全部G、次の世代生まれますか?」「LとGについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年の先の話じゃない。私たちの子どもが一人も生まれないということ」。
 この発言を聞いて、開いた口がふさがらなかった。
 たしかに、現在の人口を維持するためには、人口学的な観点からは、2.07から2.08人の合計特殊出生率が必要とされるし、年金や社会保障において、いわゆる生産年齢人口が、高齢者を事実上「賦課方式」で支えている現代においては、子どもの世代の減少は、制度の破綻に結びつきかねず、年金、社会保障制度の安定的な運営に、出生率の増加が好ましいことは言うまでもない。また、GDPというマクロ経済学的な観点でも、人口が多い方が見かけ上の数字は上がるだろう。
 しかし、そのような人口増加策に係る議論と、いわゆるLGBTといわれる性的少数者の方に係る議論は、関係ないものである。そもそも、これらの方はもともと一定数いるとされており、それは動かしがたい事実だからである。
 ライフスタイルが多様化する中、子どもの人数やその有無は当事者の意向に沿ったものとなるべきであって、国のために子どもを「つくる」ものではないはずである。女性や、その配偶者や家族が無理して、意向がないのに、または資力がないのに子どもを産んでも、「国が栄えて個人が苦しむ」本末転倒なことになる。
 行政は、各種支援施策など金銭面、(男女が協力して子どもを育てることを推奨する)啓発面で、子どもを産み育てたいと思う人には、安心して子どもを産み育てやすい環境を構築することが必要なのだろう。また、病気や性的指向で子どもを産まない選択も、それはもちろん尊重されるべきだと思う。
 出生率の現状は、まさに、いま、われわれが安心して子どもを産み育てやすい環境になっているかどうかのインディケーターになっているということを自覚する必要があると思う。いま、性の多様化やマイノリティーの保護について、そのダイバーシティ社会の推進が、各所で行われてきている。人口の一定数が、そうした性的少数者の方であるといわれる中、こうした方が息苦しい、生きにくい思いをすることがないように、配慮をし、サポートをしていくことが、行政や、弱い立場の声を拾い上げるべき、議員の役割だと思っている。
 そうした観点で見ると、一般質問での件の発言は、重大な問題があるように思う。まず、そもそも、すべての人が「少数者」になりえないが、それを前提に議論がなされている事である。
 そして、氏は報道に、「LGBTを認めないということではなく、法律的に擁護しなきゃいけないことではないと思っています。渋谷区とか世田谷区が条例を作ったでしょう。ああいうのは必要ないという考えです。」「基本的には個人の生き方だから、民法の中に(想定されて)ない生き方だからね。一般的でない生き方を特別に擁護する必要ないでしょう。」と述べているようだが、そもそも、「普通」とか「一般的」とは何であろうか?それは、単にマジョリティ(多数派)を一般的と読み替えただけのようにうつる。障がい者の方だって、いわば少数者であるが、こうした少数者は「普通でない」「一般的でない」と、社会から仲間はずれにされ、切り捨ててはならないはずである。
 いま、こうして、性的少数者の方の声や行政課題が顕在化する中で、少数だから切り捨てればいいというものではなくて、我々は、多数派も少数派も、皆が住みやすい社会を構築していくことが必要なはずである。(それはまさに、多数派も少数派も関係なく、熟議において結論を導く、議会も同じだと思う。)
 そもそも、わが国の最高規範たる憲法の一節に、次のようなものがある。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(日本国憲法第13条)
 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」(日本国憲法第14条)
 いわゆる、幸福追求権、自己決定権である。すなわち、自分の生き方、ライフスタイルなどについて、他者からの介入を受けず、自由に決定する権利である。民法に規定されていない、法を規定した当初想定されず法の欠缺となっているのだとしても、憲法に、「皆が幸福に生きられるように」と規定されているのである。民法の前に、憲法で個人の尊重や平等が保障されているのである。
 以上の発言でも明白なように、この発言の背景には、いわゆるLGBTといわれる性的少数者の方に対する無理解があるように思う。
 これは、議会内にとどまらず、すべての人が個人として尊重される社会の実現にむけ、区民・市民に対し、その啓発をすることが必要であり、足立区執行部(教育関係部局や、男女共同参画、人権関係部局)に対して、男女共同参画・ダイバーシティ教育の推進を、自治法125条によって求めること。
 また、議会内における男女共同参画、ダイバーシティに係る研修の機会を充実させることをもとめ、陳情するものである。

会議録

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